(長坂) 京都 2016  〜(続) 源氏物語VS枕草子〜

源氏物語の魅力

 学生の頃(40年前)は、源氏物語を読もう思っても原文と文法に徹した訳くらいしかなかったし、そもそも王朝文学に興味はなかった。しかし60歳にもなると人生の甘い辛いが分かってきて、今頃になって源氏物語の魅力に惹かれている。こうして書いている前も読み返したし、同じところで感動した。因みに、私がいつも感動するのは以下の3点である。

1)光源氏と、政敵である頭中将(とうのちゅうじょう)との友情。(12帖、29帖) 
光源氏が不倫発覚で須磨に島流しされた時の話や、頭中将の隠し子“玉鬘(たまかずら)”の面倒を光源氏が見る話しなど。良くもまぁ、こんなストーリーをつくるなと毎回感心する。


2)自分の息子を苦労させる話。(21帖)
親の七光りで出世させることをせず、大学寮に入れて勉強させて実力をつけさせる話は現代でも通じる。むしろ今の2世教育には、この源氏物語を参考にしても良いくらいだ。


3)光源氏に恋焦がれる”六条御息所”の賀茂祭り事件(今の葵祭り) 9帖 
読んでいて、『あぁ。。次にあの場面になるな』と思っても、同じように女心の描写に感心してしまう。


これほど人を(私の心も)引き付けてやまない源氏物語だから、千年の時を超えても色あせないでいるのだろう。

〜写真は葵祭りの路頭の儀(行列)風景。5月15日の新緑の日に行われる。この祭りは西暦567年から実施されたとあるので1500年も続く気が遠くなるほど歴史ある祭り。祭りは5月1〜15日まで行われ、源氏物語では行列の前日の御禊(ごけい)の儀で起こったとされる。


因みに『源氏物語』はヒーローである光源氏から命名。作者:紫式部は、物語のヒロイン“紫の上”と、父が式部省という官僚名(今だったら大臣とか長官とか。。)。本名は不明
 〜写真は、紫式部が『源氏物語』の着想を得たという石山寺にある式部の銅像。このお寺は滋賀県大津市にあり古典文学(枕草子更級日記。。。)に登場する古寺。さぞかし眺めが良い?と思って昨年訪れたが、高木で視界が遮られていた。

歴史もさることながら、古典を知っていると京都はさらに楽しくなる。


プラス1  枕草子
 『春は曙。やうやう白くなりゆく山際、すこしあかりて、・・・・』

 これは小説(物語)ではなくエッセイ(随筆)なので、ワクワク・ドキドキが私にはない。ウィキペディアによれば、「をかし」の世界らしい。「をかし」は明るい知性的な美だが、一方の源氏物語は「もののあわれ」の世界で、折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や無常観的な哀愁である。苦悩にみちた王朝女性の心から生まれた生活理想であり美的理念。
 うーーん。。。そういわれると納得する。

まぁ、御託は抜きにして気に入った文章を2つほど紹介する。

 「女性は自分を愛してくれる者のために化粧をする。男は自分の真の理解者のために死ぬ。」
 「一番と思える人から、一番と思われたい」


枕草子命名だが、「草子」はいわば文集。「枕」は不明(枕元に置いておくくらい大切なことが書いてある?)。清少納言の清は清原氏の苗字、少納言は一族の誰かが官僚だったらしい。(今でいうなら、大臣だった清原さんちの娘さん?)


 今年は年明け早々から超多忙の毎日である。こんなに忙しく、そして気を使って仕事をした記憶は無い。1月・2月なんか、
「もう俺には春はこないのでは。。いつまでも冬だ。」

こんなことばかり思って暮らしていたが、仕事もだんだん見えてきた。そして日も長くなり寒さも和らいだ。当たりまえだが、全ての人(動物にも植物にも)に、平等に季節はやってくる。〜写真は高専の桜並木。 あと一か月で新入生がやってくる


もうすぐ、春だな!