会長の ”中欧を訪ねて”(海外旅行の勧め) 2

ハンガリー  前編

この写真は、首都ブダペストにある『ゲッレールトの丘』から撮影したもの。中央をドナウ川が流れ、右がペスト地区 左がブダ地区 2つ合わせてブダペストとは実に分かりやすい。因みに、ブダとは侵略したフン人の名前、ペストはレンガを焼く窯の意。
今回のベストショットである。


 関西空港を夜10時30分に出発し、13時間でシンタンブール、そこから さらに2時間掛けて最初の訪問国ハンガリーに到着した。時差が7時間あるので、現地朝8時過ぎ。当然 眠れる筈もなく徹夜状態だが、日本人参加のバスツアーなので気楽なもの。


ヨーロッパは3回目。初回は人並みにイタリア・フランス。続いて、かなりマニアックにロシア。そして今回は中欧である。なぜ中欧かと言えば、ベルギー駐在の同僚が語った一言。
「ヨーロッパで一番美しいのはブダペスト

これが頭から離れず、ハンガリーのあるツアーを探したのだ。
そして、バスの窓からブダペストの街並みを見た瞬間
“来て良かった”
と思った。
 写真が有名な“くさり橋”。職人のミスで舌の無いライオンとなったらしいが確認できなかった。

蛇足だが、今回の旅行を同僚に話したら、そんなこと言ったけ? と、連れない返事だった。 まっ、いっか。


写真は、翌朝6時の東駅構内。妻と散歩を兼ね見学した。列車ホームまで自由に行ける。
ここブダペストには、東・西・南の3つの駅がある。東駅は東方面に行く。確かに分かりやすいが、名古屋駅にように、東京にも大阪にも、信州・伊勢。。1つの駅から多方面に行ける我々には正直理解しがたい。因みにロシアのサンクトペテルブルクには、モスクワ駅・フィンランド駅。。と4つある。以前サンクトペテルブルクに行った時は、モスクワ駅から日本でいう新幹線でモスクワまで行った。 (まぁロシアの勝ってだけど。。。駅は1つあれば良いと思う。)

続く


プラス1 ハンガリーの歴史

 ハンガリーを建国《896年》したのは、アジアからやって来たマジャール人と言われている。アジアと言ってもウラル山脈の東側(現在のカザフスタン辺り)だが、赤ちゃんのお尻には蒙古斑があったり、姓が名前の前にあったりと日本人と共通する部分もある。因みに、今一つブルガリアもアジア系遊牧民が建国した(ブルガール人)。ヨーグルトは遊牧民の食べ物。
 さて、その後のハンガリーだが、モンゴル・オスマン帝国(現在のトルコ)・ハプスブルク家(オーストリア)・ソ連(現ロシア)の支配を受けたが、1990年共和国として今のハンガリーとなり2004年EUの一員となった。千年を超える歴史のなかで、やっと取り戻した自由・平和であろうか。
〜写真手前は旧市街、遠方は庶民のアパートが建ち並ぶ。人口1,000万人(ブダペスト200万)、面積は日本の1/4〜