陸上部小史6 東海北陸大会

 1969年までは全国高専大会の前に東海北陸の大会がありました。東海地区で3位に入ると、1〜2週間後の東海北陸大会で北陸地区の3人と3位以内の全国大会出場を競いました。東海北陸で3位までが全国大会に出場できました。
 私は1969年の時(2年生)、マイルリレーのメンバーで地区大会で3位に入り、東海北陸大会(福井県営)も3位で、第4回の全国大会(宮城県営)に出ることができました。
 福井からの帰り米原駅で乗り換えの際に、当時はまだ珍しかったビデオカメラとレコーダー(学校の備品)を置き忘れてしまい、見つからなくて小栗先生が弁償されました。
 仙台までは、まだ東北新幹線がなく1日がかりでした。お盆の時期とかさなり列車は満員で通路にシートを敷いて座って行きました。帰りも東京から夜行の大垣行きの電車で早朝に豊橋に着きました。
 1970年からは東海地区2、北陸地区2となり東海北陸の大会はなくなりました。