”イマドキ”の大学受験(全編終了)                                                       あとがき その3

その3 夢は老いることなく。
 本ネタは、当初3ヶ月くらいの予定だったが半年間以上に渡る連載となってしまった。途中で中断し秋から再掲したことが長い連載に繋がった。長くなった理由の1つは、夏の間(休憩)に新たな題材が浮んだこと。今1つは、冬になって一年前の出来事が昨日のように甦ってきたことである。息子の言動・行動、そして私の気持ちも鮮明に記憶として残っていた。
 なぜ、これほどまでに「大学受験」にこだわったのか、自分でも不思議だ。たぶん、この年になっても興味があるのだろう。大学ではなくて、“受験”にである。
 もし私が、高専ではなくて高校(たぶん息子と同じ刈谷高校)に行っていたとしたら、どこに行っただろうか。名大なのか、いや息子と同じ京大だったのだろうか。。。 もちろん、あの時には戻れないけれど、ワクワクしながら息子の受験を眺めていたし、参考書にも興味があった。数学なら解答をみれば理解はできるし、英語だってアメリカ3年間の赴任生活で拒否反応はなくなり、受験単語・熟語は知らないにしても興味は沸く。
 きっとやりたかったのだ、私も大学受験が。そして、不思議なことに本ネタを書き上げることで、その欲求がだんだん満たされた気がする。息子を通して、私も受験を経験させてもらったかもしれない。


 “イマドキ”の受験を通して学んだこと(成長?)が3つある。
①受験状況が理解できた。
 当初は驚くどころか信じられないこともあったが、中身を知るにつけ理解できた。今では、予備校の仕組みや、偏差値・受験方法なども大方分かる。この知識が当面役立つのは、来年に受験を控えている次男との会話である。
 「父さん、結構わかってるじゃん」
 「父さんの言うとおりかもしれん」
などと言われて、何なら嬉しくなる。



②大学ブランドに驚かなくなった。
 これは、息子が東大でも名大でもなく京大に合格したこと。そして、大学生になればその多くが勉強をせず、同じことを考え・行動していると知ったことも大きい。最近、会社で受験についての話題が出ると、
「頑張ったんですね」
「お金が掛かるね」
「全国区だね」
などと言う。また、あなたの子供はと聞かれると、
 「金の掛かるところ、それ以上は聞かないで。」
と答えている。

 京大が怒るかもしれないが、
「2番手は気楽である。」



③京大総長の言葉に感銘を受けた。
 前述したが、「伊能忠敬は50歳で隠居し19歳も年下の門下に入り、55歳の1800年から71歳の1816年まで17年間全国各地を測量し、日本国の実測地図のデータを集めた。」とある。 現在に置き換えるなら、
「70歳で心機一転し、50歳の後輩から学び、そして90歳まで頑張った。」

となる。私の中では、「定年になれば時間があるが、歳だから。。。」と冷めた気持ちもあったが、これは衝撃だった。まだまだ人生捨てたものじゃない。
 「夢は老いることなく、悠久のまま」

元気を取り戻すことができた。


このネタを書くにあたり、どうしても自慢話に聞こえてしまうので、始めのうちは注意を払って文章にしたが、ある時からやめた。真実を書くほうが人は真実を感じるだろうと思ったからだ。

  
    (写真は、豊田高専の桜並木)
 とうとう最終回となってしまった。ちょっと寂しい気持ちもするが、今日は区切りにふさわしい3月31日。明日からまた気持ちを新たに、そして美しい桜の花を期待し全編終了とさせて頂きます。