会長の”明日に架ける橋” その7

今回から3回、歩いて渡れる橋を紹介する。

 この写真は、アメリカの母なる川ミシシッピィの源流である。場所はカナダと国境をもつミネソタ州Lake Itasca(アイタスカ湖)にあり、ここからメキシコ湾まで4,000キロを流れていく。まさに大河の1滴である。

ミシシッピィ川を歩いて渡る橋

どうしても行きたくてBemiji(ベミジ)という田舎まで出かけた。橋は長さにして約10m 歩数30歩であるが、石作りのれっきとした橋である。なお、アメリカの地図には下記のように書いてあった。

Source of Mississippi River
 
以下に4000キロを流れるミシシッピィの一面を紹介したい。

Lake Bemiji

ミネソタ州は10,000個以上の湖がある。この写真は、上記Lake Itascaの隣にある。太陽が湖から昇る瞬間を撮った我傑作の1枚である。何といっても、浮かんでいる水鳥も御来光を見ていたのが衝撃的だった。


セントルイス
ミネソタの南に位置するミズーリ州セントルイスはある。カリフォルニアで金塊が発見され、一攫千金を狙って東海岸の人々が流れていく中で、その玄関口となった歴史ある街である(ゴールドラッシュ)。ミシシッピィの川幅は200m程度である。なお、この橋はEads Bridge(イーズ橋)で1874年 に完成した。


メンフィス 
さらに南下するとテネシー州になる。ここにはエルビス・プレスビーが住んでい
たグレーズランドがある。またブルース発祥の地であり、夜になるとビール通りと呼ばれる繁華街には人がでる。私は飲み屋に入る勇気がなかったので(黒人に圧倒される)、市電に乗って店を眺めていた。写真はHemando Desoto Bridgeである。このあたりまで来ると川幅は1キロ以上あり、おそらく一番広いところではないかと予想される。川岸にはアベックや老夫婦などの姿があり、川も時間もゆっくりと流れていて、景色を眺めているだけで癒されるひと時であった。



ニューオーリンズ

河口にあるこの街は、南部の繁華街として栄えた。ジャズの発祥であるが、1917年の売春防止法が施行されると、街は廃れ皮肉にもミュージシャン達は仕事を求めミシシッピィ川を
遡っていった。メンフィス・セントルイス・そしてシカゴで花が開き、やがてニューヨークへその舞台が移っていく。川の流れに逆らってジャズの歴史は作られたのだ。なお、写真後方の橋は国道90号線Crescent City Connectionである。この辺りで川は大きく蛇行している。

ベニス(河口)
最初があれば最後もある。州道23号線をニューオーリンズから2時間ほど南下して辿りついた場所がここである。これ以上は道路がないのでメキシコ湾を望む場所には辿り着けなかった(残り30キロかな?)。道路のある場所として最後である。アメリカ人のことだから、源流と同じく公園でもあるのかと期待したが、何もないただの川であった。思いのほか川幅が狭かった(500m程度)。ただし、川底が60mと深いので写真の巨大船も運航できるのだろう。昔は、この川で綿花・奴隷を運んだ。もちろん、今でも産業物資を運ぶ重要航路である。